ちか と つる
「おおだま」と「しずくいし」による、『戦国BASARA』のチカツルについてあれこれ語ったり、二次創作したりするブログです。NLオンリー。腐はどこを探してもありません。
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突如思い立って、ツイッターでめんめんと鶴ちゃんの精神構造と、
そこからチカツルの端緒を語ってしまいました。
なんという字数だ。我ながらヒくわ!
鶴姫の、深淵まで透き通った心の構造に興味が絶えない。深い深い何尋もある底なのにね、透き通ってるから浅く見えるの。意識表層の動きも、心底の動きも見えてしまうと、奥行きがわからない。無意識の領域が個人を離れた全体意識、つまり「神」につながっているのは、鶴姫に限らず、誰でもそうだ。
鶴姫は、そこから、個人の意識レベルに至る間に障壁や濁りがないから、いつでも「直結」しているように見える。ひとの心が各自、目のつまった何層もの仕切りをもつ「ざる」だとたとえたとき、鶴姫は「わく」だ。彼女の個人の仕切りは縦方向の壁しかない。
「わく」だから「全体意識への直結」が可能で、それがすなわち「先見」として表出していると、私は捉えている。そういう「わく」で居られることは、先天的な希有な才能であり、ひととしては大きな欠陥だ。これを埋めるのは鶴姫にとっては「見えていたものを見えなくする」こと、すなわち失明に等しい。
まあとにかく、そんなわけで、資質=「わく」だったから、社の連中は鶴姫を俗世間から切り離したと見るね。後天的に、心の仕切りが生まれないよう、心の密度の偏りや濁りが生じて覗きこんだときの海底の表象に歪みが出ないために。すくすくと、すこやかに、すなおに、まっすぐに、真っ白に。
全体意識に直結した鶴姫に、個人の死を悼むことはできなかったはずだ。来しかた行く末知ってるんだから。そう、生は柄杓で海水をすくうこと、死はすくった海水を海に戻すこと。それだけ。また、違った貴方とお会いしましょうね。
そのまんま、ガラス棒みたいな女であれば、かなしみはおろか全ての感情が、透過するばかりで、なにひとつ鶴姫にはとどまらず、わきださず、無味無色。そんな鶴姫から、同じくがらんどうの風魔がどう見えるか。
種類の違うガラス棒だ、これは。似て非なる、より強く自由(に見える)もの。幼い子供は、自分に似たものを愛するんだよ。強かったりかっこよかったりの前にね。風魔は鶴姫にとって、幼児にとってのアンパンマンではなかろうか。
鶴姫の人格はたいへん『薄い』のではないか。ほとんど透き通った深い海、その日差しを反射する、ほんの表面。薄い油膜のようなもの。当然、他人の感情に斟酌することなど知らなかったろう。見通す先の結論だけではひとの心を救えないことを知らなかったろう。無知の無知。野生のいきもののような。
人間は、人形ではないから、変化は避けられない。言葉や相手の反応のやりとり、自分の行動や反応が外界をどう動かすか、それによってひとの赤子はひとになる。鶴姫も、外界に出たのが思春期に間に合って本当に良かった。のびのび自己肯定するのは、自他の差に無頓着だからだ。他人の目を必要としない。
自他に区別がなかったのか、自分が他とは隔絶した位置にあったのか。どちらにしても、無上の慈愛をもって無情を与える、そんな非人間な面があったとしても驚かない。人非人って意味じゃないよ、むしろ生き仏的な。衆生を掌に載せて慈悲の眼差しを与える菩薩的な。
私が社側の人間で、真に先見の巫女を保持したいなら、絶対に鶴姫を戦には出さない。強い感情に触れさせれば、透き通った海が波立つ。波立ちが大きければ海底の砂がまきあがる。濁る。仕切りが生まれて、鶴姫が『個人』になる。なった途端に、自他の差異に違和感が生まれて『才能』を『欠損』と感じる。
さて、そこに登場するのが、世俗のアクの塊のよーな我らがアニキである。元親の属性は炎だが、これは物理的なものだけではなくて、彼は彼の無意識下で隣り合った他者に熱を与え、活性化させるたちなのだと思う。戦場に姿を見せるだけで何もしなくても士気が上がる。
そういう無意識下の働きかけを感知するたちの人にとってはもう、シーツの下に入った豆粒、スキー靴のとごかにまぎれこんだ砂粒、舌の届かない位置にできた口内炎のように鬱陶しい存在なわけで……ええ、毛利公には誠に御愁傷様でございます、ああいう人がお向かいでたまらんこってしょう。
そんなアニキから見たら、鶴姫は、半透明で向こう側が透けて見える、ぷるぷるしてつついたら崩れそうなトコロテンかクラゲみたいな子だったんじゃないかと思う。えっ、なにこいつこんなんで大丈夫なの?みたいな。まあ、ほっとけない病のアニキはつつくよな。つんつん。そしたら意外と強気にかみつき返してくるから、面白くなってまたつっつく。そうしているうち、半透明なトコロテンに色がついてくる。だんだん透けなくなって、実体と重みを持ってくる。これは楽しい。絶対に楽しい。定期的につつきにくると思う。
さて、鶴姫にとって元親は? 深いどこまでも透徹な水底に、寄りによってそのそこに、つながった全体意識から熱湯が流入してくる。海底間欠泉みたいなもんだ。どばばばばと泡ぶくぶくたてて熱湯がやってくる。喧しい! 熱い!
勢い強いから当然底はかきまぜられて砂は立つし、温度差で水流が生まれる。温度の高い水は水面へ、低い水は海底へ、そこでまた熱湯がどばーん!ぶくぶくぶく.。o○゚。 元親は鶴姫を白い箱育ちと揶揄したが、その箱ごと火にかけたくらいの暴挙である。
大谷さんが鶴姫をだまくらかしたことや、それについて孫市姐さんが導いたことは、逆に水面からのアプローチだ。大谷さんは上から蓋をしようとして、その陰りが仕切りとなり、鶴姫の自我の芽生えを刺激した。孫市姐さんはその蓋の隙間から覗きこんだような。美しい人影が彼女の心に映ったイメージ。
市は、後天的に鶴姫と共通点が生じたケース。仕切りを沈めて『わく』となったか、水面まで黒い水で満たされたか。自我の緩みと全体意識(=異界)への生きながらの回帰・耽溺。できれば、鶴姫が似た者同士の親密ではなく、市の痛みへの共感だと思いたい。であれば、鶴姫の成長・変化と読める。
鶴姫と元親の付き合いは、さほど古くないじゃなかろうかと思うね。出会いはすごく昔にあったかもしれないが。鶴姫オムツ時代に、元親少年が会っててもおかしくない。なにせたぶん10くらい離れてるからなあ……元親が鶴姫をかまい倒しだしたのは、鶴姫がのこのこ世間に出てからだろうと。
鶴姫に、絵を描かせてみたいよ。どんな色を使うだろう。絵の中に『自分』はいるだろうか。もしいたとして、『自分』と『他者』の大きさの比率はどうだろう。距離はどうだろう。
アニキが下から火にかけるし、水面から碇突っ込んで掻き回してやあいやあいはやしたてれば、鶴姫の心はものすごく忙しくなるだろう。人間の心はまず、快・不快に分化して、あとは不快のほうが圧倒的に早くかつ多く発達するもんだ。でないと危機に対して自分を守れず、生き抜けないからな。
途中で止まっていた感情の分化も、働きかけがあれば遅まきながら再開する。鶴姫は周りに恵まれている。戦場に出ることや、元親との関わりを許したのは、社の人間たちが『神の枠』を『人間』にしてもいいと……おそらくは情に流されたから。それは、鶴姫にそうさせたくなる何かがあったからだ。
ないものを作り出すにはたいへんな抵抗、不愉快、排他性、攻撃性を生む。激烈な反抗期が、鶴姫の心に発生するだろう。鶴姫も苦しむが、それを向けられる周囲も辛い目にあう。たいてい反抗期って、一番身近な存在に牙を剥く。
それが社の、わたしの船の皆さんに行くとは思えないなあ……アニキに全部いきそうだなあ……かわいそうに。でもアニキだし。どーんと受け止めてくれるだろう。非常につんけん、かつ、ばっちいもののようにあつかわれるアニキと反抗期鶴姫の構図は、まるっきり父と娘である。
頑張ってくれ、アニキ。タノシイことは、きっとそのあと待っている。――――ああ、きりがないので本日はお開き。どっとはらい。